うめの式

京都在住のワーキングマザーが綴る ミニマリズムな暮らしのこと

「山瀬理恵子」について

「こんなに一途に誰かのことを想うのも久しぶりだなぁ」と、

夜な夜な苦手なミシンに向かいながら思った。

笑顔と笑い声が印象的で、

一度会ったら誰もが彼女を好きになる。

そこにいるだけでパッと場が華やぐ。

個性的な彼女を引き立てる相棒のひとつになってくれたらと選んだのは

白地に黒の花模様で、エプロンをお餞別に。

その大輪は彼女そのもののように思えた。

 

初めて山瀬理恵子に出会ったのは、通っていたバレエ教室。

最初から声が大きかった。

玄関にいるのに二階のスタジオまで声が聞こえた。

「にぎやかな人が新しく入ってきたんだなぁ」と思っていた。

背が高く、驚くほど小顔でスレンダー。

しかし、目を引くのはそのピカリと光るおでこ。

まぶしい人だった。(いろんな意味で)

 

同い年くらいかと思っていたのに、聞けば10歳近く上のお姉さん。

(実際は9つだが、彼女のSNSでは

 わたしは10歳下とよく紹介されているのでそれにならう)

お酒が好きという噂を耳にしたわたしは、

何度目かの一緒になったレッスンで某酒卸メーカーのワイン会に誘った。

お酒が好きな人となら絶対仲良くなれる――わたしの経験である。

そしてその目論見は外れなかった。

その後、何度彼女と乾杯しただろう。

家が近かったこともあり、顔を合わせれば一緒に飲んでいたように思う。

否、彼女と顔を合わせてお酒を口にしなかったことなど、

わたしの妊娠・授乳期を除けば一度もないはずだ。

 

お互いの自宅はもちろん、近所の居酒屋でも、

先日ブログに書いた「つむぎ」さんでも、

錦市場、街中のフレンチ、伏見の酒蔵の蔵開き、

いつだって、どこだってわたしたちは乾杯をしていた。

京都では有名すぎるイタリアン「イルギオットーネ」でも乾杯した。

あの日、前菜からデザートまでを堪能し、食後のコーヒーを飲んでいる中、

ふと彼女がイッタラのカップを手にし、それをクイっと呷ったとき、

わたしは腹の底からこみあげてくる笑いというものを初めて知った気がする。

中に入っていたのは、きれいな緑茶色のオリーブオイルだったからだ。

彼女の驚く顔。「間違えたーー!」と叫ぶ声。

一生忘れない。忘れられない。

オリーブオイルとお茶を間違える人がこの世にいるものか。

ましてやここはイタリアンのお店。食後に日本茶などまず出てこない。

笑いこけるとともに、食後はお茶を、という日本人らしい感性というか、

家庭的な面、彼女の育ってきた環境や

今ご主人とともに作り上げている家庭を思わずにはいられなかった。

 

やはり彼女のバックボーンにある北海道は大きい。

人との付き合いに垣根を作らず、常におおらかで、また大胆で、

物事を真っ直ぐに見える目、たまに真っ直ぐすぎて心配になることもあるし、

実際失敗もたくさんしてきているようだけれど、

それでもひたむきに、できることをコツコツと積み上げられるのは、

ご家族の薫陶と、肌にしみ込んだ北海道の厳しくも豊かな

自然のおかげなのだろうと感じる。

そういうにおいが、彼女からはするのだ。

 

京都に来て、京都新聞での「アス飯」の連載が始まり、

クックパッドの公式ページ開設、企業や大学とのコラボレシピ開発、

雑誌や各メディアへの取材。

そういうことがある度に「どうしよーーーーー!」というLINEが来たが、

正直にいうと、半分は無視していた。

無視=スルーではなくて、彼女が心配するほどには

わたしは心配をしていなかった。

どうにかなるし、どうにかする人だというのは、もうわかりきっていたから。

本当に必要なときだけ、必要な分の言葉を添える。

植物に栄養を与えるように。

光と水は、自分の力で摂取できる人だもの。

 

だから、京都を離れ福岡に行くと知ったときも、

それはそれは寂しかったけれども、いや、今も寂しいけれども、

わたしはどこかでその別れを覚悟していた。

たぶん、出会って、彼女の夫がサッカー選手と知ったときくらいから、

いつかはいなくなってしまうだろうと。

何度も何度も乾杯しながら、

こんなに気軽にグラスを合わせられるのは今だけだぞ、と

自分に言い聞かせていたのかもしれない。

大人になってから得た友達というのは何よりも失いがたい物のひとつだ。

 

ただ、そんな悲しいだけの気持ちでサヨナラはしたくない。

于武陵の『勧酒』を彼女に教えたのは、

別離の寂しさと、たとえ離れていてもあなたを思っているよと、

またいつかお酒を飲もうと、そういう気持ちが見事に重なったからだと思う。

彼女ならきっとどこへ行っても大丈夫だろうと思っていた。

山瀬理恵子は大丈夫。

どこでも咲ける。

畑の畔道に咲く名も知らない花のように、たくましく、

その地に根を張り生きていける。

(彼女自身は薔薇のように美しく妖艶な女性を目指しているようだが、

 まあ、それはそれとして。)

 

わたしには彼女がつないで残してくれた“縁”があるから、

その人たちと京都であなたがときどき帰って来るのを楽しみに待っています。

 

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