うめの式

京都在住のワーキングマザーが綴る ミニマリズムな暮らしのこと

どんな日本になってほしいですか?

今日の京都新聞の教育欄。

「民主主義とは、鍛えられた市民の判断力が前提」

の言葉に「これだ!」と思いました。

わたしは政治に詳しい方ではありません。

でも、選挙には行かなければならないと思っています。

それはなぜか。

「日本の未来に対し、こうなって欲しい」というビジョンがあるからです。

この答えは、人を説得させたり納得させたりできるものではないでしょう。

でも、わたしが選挙に行く理由はこれで十分です。

先の選挙で、わたしはふと違和感を覚えました。

みんなは誰に、どの政党に投票するのかと考えたとき、

「消去法」で政党を選ぶ人がすごく多い気がしたのです。

マニュフェストとは「こういう日本にしていきます!」っていう指標で、

わたしたちはたくさんの指標から一つを選んでいるわけだけど、

国民ひとりひとりは「こういう日本になったらいいな」という

ビジョンを持っていないような気したのです。

「赤、青、緑があるけど、どれにしようか?」という選び方と、

「わたしは黄緑が好きだから、一番近い緑を選ぼう」という選び方は

結果的に同じ緑を選んだとしても、前者では消去法です。

なぜこのようになってしまうのか。

その問いに対する答えが、冒頭の一文につながります。

そもそも民主主義とは、国民のために国が動くことではなく、

国民が自由や平等、人権を守るために、

国民が主体となって国を動かしていくとでしょう?

でも国民全員が一気に話し合いをすることはできないから、

国民の代表を決めて、その人たちに政治をしてもらうわけです。

選挙はそのためにある。

けれども、テレビに映る政治家はみんな

「国民の皆様のために」「国民の皆様のために」と言う。

すると国民は「自分のために政治家が頑張って国を動かしてくれる」と錯覚する。

自分が国を動かす1人であることを忘れてしまうのです。

民主主義がなんたるかも知らず、

二十歳になったら投票権だけが勝手にやってくる。

少なくとも二十歳のわたしは「勝手にやってくる」と思っていましたよ。

同じように感じている二十歳の子は多いのではないのでしょうか?

決められたシステムの中で選択するだけの選挙に意味はありません。

さきほども言ったようにわたしは政治に詳しくはありません。

今言ったことも、詳しい人にしてみたら

当たり前の話になるかもしれません。

でも「今さら」とは思わないので、書きました。

選挙で大切なことは、政党を決めることではないし、

政治で大切なことは、政府が何をしてくれるかではなく、

わたしたちの代表者が間違った方向に進んでいったとき、

「それは違うよ」と声を上げられることだと思うからです。

声を上げるためには、ひとりひとりの意識を上げることが大切。

それは国や政治家でもできないから、

自分で気付くしかありません。

賛同でも反対でもいい。

わたしのように政治に詳しくない誰かのきっかけになればと思います。