うめの式

京都在住のワーキングマザーが綴る ミニマリズムな暮らしのこと

ミニマルな暮らし

「断捨離」という言葉が流行り出したのは、もはやいつのことか。

わたしは出だした当初からこの言葉がいけ好かなかった。

なぜなら、わたしはそんな言葉が流行る前からの、

そう根っからの断捨離家だったからだ。

 

子どものころからいらないと思ったものはすぐに捨てるくせがついており、

それは誰に言われるでもなく身に着けた処世術のように思う。

親のように育ててくれた祖父母は、戦後の物のない時代に育っているので、

どちらかといえば何でも取っておく派。

わたしはいつもそれが気に食わなかったし、

わたしの使い古したブラジャーを祖母が使っていたり、

青春期に使っていたポエムノートの残りのページを

ふつうにメモ紙がわりに使われているのを発見したときは、

そのこっぱずかしさから嫌悪感すら抱いた。

 

遊牧民のように、必要最低限の物だけで暮らすこと。

便利で多機能、場所を取らない道具たちを愛すること。

一人暮らしのときはもちろん、

結婚してなおこの生活スタイルを続けられるのはわたしのひそかな喜びだし、

いい伴侶を得たと思う。

 

ところが、最近気づいたことがある。

「まだまだ物が多いな」と。

子どもからうつった風邪で熱にうなされながらも、

それは強烈な衝動とともにやってきた。

「捨てたい。もっと捨てたい」

とくに服。

 

これも少し前になるが『フランス人は10着しか服を持たない』という本が流行った。

あのおしゃれなパリジェンヌたちがたった10着しか服を持っていないなんて

そんなバカな話があるものかと、当時は驚いたものだ。

でもわたしはその本を読まなかった。

「1年着なかった服は捨てる」というポリシーがわたしにはあり、

服が多いと思ったことがなかったのだ。

 

でも、風邪で一日ベッドにいたわたしは見つけてしまった。

日本にもうじゃうじゃいるおしゃれなミニマリストたちを。

彼女らはやはり10着とはいわないが、

十数着の洋服だけで1年を過ごしている。

着回しが効き、自分の体にぴったりあったお気に入りの服だけで

毎日を過ごすなんて、わたしはしたことがない。

したい。すごくしたい。

 

でも、、、、妊婦なんだなー。

 

お気に入りの服なんてどんどん入らなくなり、

とにかくお腹をしめつけない服ばかり選ぶ毎日を繰り返しているせいか、

彼女らがとにかくうらやましいのである。

 

とりあえず服はお腹の人が出てきてから捨てるとして、

・化粧品

・バッグや靴、装飾品

・食器類

は減らせそうだ。思い浮かべただけでワクワクする。

ブログカテゴリーに「暮らし」を追加し、

ミニマリストへの道をつづっていこうと思う。

よろしければ、お付き合いください。