うめの式

京都在住のワーキングマザーが綴る ミニマリズムな暮らしのこと

ミルクじゃいけないの? 〜母乳VSミルクのおっぱい戦争〜

今日は市の保健師さんが新生児訪問に来ました。

まずはじめに聞かれたのが「母乳ですか? ミルクですか?」ということ。

わたしはほぼ母乳で育てていますが、

足りなくて泣いているときや、

体が疲れてどうしても授乳できないときはミルクを足しています。

いわゆる混合派です。

よく「母乳VSミルク」というキャッチを目にします。

敬愛する宋先生も「おっぱい右翼」と題した昨日のブログでこの問題に触れています。

先生のいう「おっぱい右翼」とは、

・おっぱいこそ母親の愛である

・おっぱいで育つのが一番の幸せ

・何があっても粉ミルクなど使う必要はない

・頑張ればおっぱいは出る

・おっぱいは世界を救う!

と思っている人たちのこと。

わたしが出産した病院の助産師さんにもこういう方はいました。

(もうちょっとソフトだったけれども)

対して「おっぱい左翼」は

・粉ミルクがあるのだから母乳なんて要らない

・母乳が粉ミルクに勝っているのは初乳だけだ!

と思っている人たち、と先生は位置づけています。

そして、多くのお母さんたちはその中道(混合ってことかな?)で

マジョリティであるともおっしゃっていました。

(もしかすると母乳でもミルクでも極論派がマイノリティということかもしれません)

(多くのお母さんたちはそれに対するマジョリティ)

「できるなら母乳で育てたいけどなかなか母乳が出ない」

というお母さんたちにとって、

「ミルクは必要ない」「頑張れば母乳は出る!」という右翼側の言葉は

プレッシャー以外の何ものでないと思います。

また、「出ないならミルク足せばいいじゃん」

「ミルクだって母乳と栄養は変わらないよ」という左翼側の言葉も

問題解決や応援になるものではありません。

わたしは「母乳VSミルク」という概念こそが問題だと思っています。

母乳育児を望む人が多いのは、

「母乳で育てるのはよいこと」もしくは「母乳で育てるのがふつう」という

刷り込みがわたしたちの中にあるからではないでしょうか。

これがあるからこそ

「ミルクで育てるのは悪いこと」「ミルクで育てるのはふつうではない」という

意識が生まれ、それに反発するようにミルク支持者やおっぱい左翼が生まれます。

この刷り込みがなければ、母乳とミルクは敵対するものではなかったはずです。

現に、フランスではミルク育児が主流。

母乳育児は古くさく、女性のセクシーシンボルである乳房を子育てに用いるのは

動物的であり、女性男性ともにあまりよいと思っていないそうです。

(フランス流の子育てをアメリカ人女性が綴った書籍、

 『フランスの子どもは夜泣きをしない』より)

その本によると、産院では母乳をあげていたお母さんたちも、

退院するとさっさとミルクに切り替えるそうです。

ミルクで育った人が多いフランス人。

わたしにはフランス人の知人はいませんが、

テレビなどで見る限り、彼らに健康上の問題はないように思えます。

もちろん、心の健康においても。

わたしは冒頭で「混合派」であると言いましたが、

実は、今すぐにでもミルク派になりたいと思っています。

わたしにとって授乳は疲れるし、めんどうくさいものだからです。

乳首も痛いし、張りが続くと乳腺炎が心配になります。

大好きなお酒を我慢するのも、もういい加減イヤになってきました。

それに、フランス人のお母さんたちが思うように、

授乳は乳房からセクシーさを失わせる気がしてなりません。

夫の前で授乳を続けることで、わたしの女性らしさが夫の中から消えるのでは?

と思うこともあります。

「だったらミルク派になればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、

チキンなわたしはマイノリティになる勇気はないのです。

ミルクで育ったくせに、

しっかりと「母乳正義」の刷り込みがされているのですから恐ろしいです。

母乳VSミルクの「おっぱい戦争」が終らないかぎり

母乳とミルクの狭間で苦しむお母さんはいなくなりません。

派閥をなくし、母乳でもミルクでもその選択を非難する・されることない

世の中(そう、これは個人の問題でなく世の問題なのです)になることを切に願います。

(親類のみならず、町の見知らぬおばあさんや、おばちゃんに

 「お乳はよく出るの?」と尋ねられたら、そりゃもう戦争ですよ。

 

 ミサイル打たれているのと同じですから。関西だから多いのかなーこういうおばちゃん)

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