うめの式

京都在住のワーキングマザーが綴る ミニマリズムな暮らしのこと

わたしの英語学習①

このブログを読んで目から鱗が落ちました。mekarourokoeigo.hatenablog.com

自分の学習能力の低さを棚に上げていいますが(笑)、

こういうことを教えてくれる先生が

中学ないし高校にいてくれたら、

外国人旅行客がわんさかといるこの京都で

もう少し彼らの役に立てるんじゃないかと思うのです。

 

現に中学では赤点ばかりで大嫌いだった英語、

高校に入って、発音はどこかおかしかったけれど

楽しく授業をしてくれる先生のおかげで、

比べものにならないくらい点数が上がりました。

 

子育て中の今だからわかるのだけど、

学びというのは遊びの延長線上にあります。

歯磨きも、お片付けも、お着替えも、

彼らは「楽しい」と思うから繰り返すし、

それが学びとなっているのだと思います。

わたしにとって英語は「楽しい」ものではなかった。

そのツケをひしひしと感じる今、

息子とともにひっそりと英語に慣れる練習をしています。

長くなりそうなので2回にわけて書いていきますね。

 

英語が嫌いになったのはなぜか

わたしにはアメリカ人の親戚がいます。

幼心に、彼は怖かった。

なぜ肌の色が違うのか、なぜ違う言葉を話すのか、

お年玉をもらうとき「さんきゅぅ」というと、

「ノウノウ!」と何度も発音を直されるのはなぜか!

人見知りが激しく引っ込み思案だったわたしにとって、

彼は理解を超えた存在で、

まず英語というより外国人が苦手になりました。

ふつう、身近に英語を話す人がいれば得意になりそうなのにね。

 

そして、

小学校から中学に上がるときに増えた科目、英語。

今でもはっきりと覚えているのですが、

中学校1年生の1学期の中間テスト、

つまり中学に入って一番最初の英語のテストは95点で

全科目の中でもトップでした。

しかし、次の期末以降卒業まで、

80点はおろか平均点にも届かず赤点ばかり……。

覚えるだけの単語テストは得意だけど、

文法や長文読解になると混乱し、

何がわからないのかわからない状態に。

 

とくにひどかったのがリスニングで、

最初から最後まで何を言っているのか

ちんぷんかんぷんなんですよね!

回答欄はすべてあてずっぽうでした。

ははは。今思い出しても笑えるわ。

 

高校ではオーラルコミュニケーションが嫌いだった

しかし、高校に入ると一変、英語の点数が上がった。

とくに2年生に入ってからは、

部活を止めて勉強する時間ができたので

英語だけでなく全体的に点数が上がりました。

点数が上がればやる気も出るし、

やる気が出れば授業に対する姿勢もかわる。

単純な性格ゆえ、

努力を裏切らない勉強は決して嫌いではなかったのです。

それに加え、面白く英語を教えてくれる先生がいた

(先生はそんなつもりはなかったのかもしれない。

 なぜなら英語以前に先生自身が面白い人だったから)

のがよかったのでしょう。

ただ、苦手というか嫌いだったのが、

オーラルコミュニケーション、いわゆる英会話の授業。

なんのためにしているのか全くわからなかった。

「いや、物事には意味がある!

 これは英会話に慣れる授業だ!

 でも慣れるっていうか、ほとんどテキストを

 言い換えてるだけだよね?

 しかもこのテキストの会話って実際にはなくね?

 やる意味なくね?」

 

そんな風に考えていたので

この授業はかなりテキトーに受けていました。

ぜーんぶテキストのまねっこ。

日本語では言ったことないし、思ったことすらないけど

「わたしの夢はお嫁さんになることで、

 夫の手助けをすることがわたしの喜びです」

みたいなことを英語でいいました。

みんなわたしの発表なんて聞いてないし、

聞いてもわかってなかったのかもしれない。

乾いた拍手の中、唯一内容を理解していた男友人に

「ハズバントってwwww」と笑われて恥ずかしかったので、

この出来事はよく覚えています。

その恥ずかしさもあってオーラルの授業はどんどん嫌いになりました。

 

好きになるきっかけも、

嫌いになるきっかけも、

驚くほど些細なもので、

驚くほど簡単な場所に落ちている。

全部の全部が先生が悪い、

日本の英語教育のシステムが悪い、

とは言わないけれど、このままではいつまで経っても

日本人は英語がしゃべれないと思う。